生産情報 | 地域 | 北アメリカ |
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生産国 | アメリカ | |
地方 | ケンタッキー | |
地区 | ルイヴィル | |
村 | ウエストブレッキンリッジ・ストリート | |
作り手 | ヘブン・ヒル蒸留所 | |
原材料 | ライ麦,酵母,とうもろこし |
当初のウイスキーは、農家の軒先や納屋に置いたごく小さな蒸留器で造る簡単で素朴なものでしたが、1785年、ジョージタウンにやって来たエライジャ・クレイグ牧師は副業でウイスキー造りに励み、1789年にウイスキーの蒸留所を建設しました。その時に造ったものが、トウモロコシに大麦とライ麦をミックスして火にかけ、糖分を抽出して水を混ぜ、リンゴとプラムを入れて熟成させたのちに蒸留するというものです。エライジャ・クレイグ牧師は、蒸留したウイスキーを、内側の焼けた樽に入れたまま放置してしまい、3~4年後に開けてみると、焦げたオークのために赤味がかった芳醇な液体が現れた、というのがバーボンの始まりという説が有力です。エライジャ・クレイグ氏は、アメリカ合衆国のバプテスト派の牧師でした。バーボン・ウイスキーを最初に製造したと伝えられており、「バーボンの父」として知られています。また、ケンタッキー州ジョージタウンの創設者としても有名な人物です。エライジャ・クレイグは、牧師の名に恥じないバーボンを造ろうと、企画から25年もの歳月をかけて製品化されたブランドです。なお、バーボンの名前の由来は独立戦争のときにアメリカに味方をしていたフランスのブルボン朝から来ているといわれています。
エライジャ・クレイグ牧師が造った最初のバーボンは、「レッドリカー」「リキッドルビー」と言われました。バーボン・ウイスキー特有の風味を作る「樽を焼く」という製法も、クレイグ牧師がある時鶏小屋の火事で樽の底を偶然にも焦がしてしまったことが始まりと言われています。新品の樽を調達する資金もなく仕方なしに焦げた樽を使い続けたところ、偶然に芳醇な香りとマイルドな味わい、そして美しい琥珀色のウイスキーに仕上がったのです。これ以降バーボン造りには焦げた樽を使用することが定着しました。実際のところ彼がバーボンの創始者であると言う確固たる証拠はありませんが、ウイスキーの父としての名前はアメリカン禁酒時代において有効的な対抗手段と考えられたのかもしれません。
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