生産情報 | 地域 | 西ヨーロッパ |
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生産国 | フランス | |
格付け/生産者 | ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ | |
地方 | ブルゴーニュ | |
地区 | コード・ド・ニュイ | |
村 | ヴォーヌ・ロマネ | |
ブドウ品種 | ピノ・ノワール |
ロマネ・コンティの原料であるピノ・ノワールの樹は、1584年にクロード・クザンが植えたものです。フィロキセラ禍の後、1880年から1910年までの間、他の畑はすべて植え替えられていましたが、ロマネ・コンティでは、定期的に二硫化炭素を地中に注入し、アブラムシの被害から逃れていました。(ただし、1945年は防ぎきれず、ブドウが引き抜かれました。これが理由に1946年から1951年までのロマネ・コンティは存在しません。)
ルイ15世の時代には葡萄畑の所有権を巡り、王の愛人と、ブルボン王朝のコンティ公爵との間で争奪戦が繰り広げられました。その後、1760年コンティ公爵側が勝利したことに怒った王の愛人が以後ヴェルサイユの宴の席からブルゴーニュワインを禁止したそうです。一方、勝利して畑の所有権となったコンティ公爵は、この畑のワインをすべて自身のものとして引き上げてしまい、このワインはコンティ公爵の宮殿でしか味わえない特別なワインとなり、ここに「ロマネ・コンティ」の名が生まれたのです。ロマネの名がつけられた畑は、長い年月葡萄栽培が行われ、この場所から誕生するワイン「ロマネ・コンティ」は、今も昔も栄光の名が知れ渡っています。ロマネ・コンティは宮殿内にも広がりました。18世紀始め、フランスのルイ14世が持病の治療のために毎日ロマネ・コンティを主治医が処方していたそうです。ちなみに、歴史にも記した王の寵妃とブルボン王朝のコンティ公爵との争奪戦の寵妃とはルイ15世の愛人、ポンパドール夫人のことです。
ブドウ畑がわずか「1.8ha」しかない上、通常でも1haあたり、わずか「3,000リットル」、少ない年で「1,000リットル」にまで収穫制限を行うため、年間平均「7,000本」程度しか生産されません。品質の良さと希少性で、世界中の大富豪やセレブが競い合って買い求める、世界最高のワインとなりました。世界の頂点に君臨する甘美な味わいで、高価ながら非常に人気の高いワインです。エシェゾーの近くの畑で造られているロマネ・コンティは、毎年6000本ほどしか生産されていない世界で最も高値で取引が行われており、最低でも30万円はするといわれています。ワインファンの間では「一度でいいから飲んでみたい」と言わせ、「飲むより語るワイン」とまで言わせるほどの世界最高の銘酒なのです。
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